漫画『乙嫁語り』3巻【ネタバレ感想】|当時の価値観をそのままに描くということ

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最近、森薫さんの漫画『乙嫁語り』を読み始めました。まだ3巻までしか読んでいないのですが、こういう時代モノにありがちな「現代的価値観を持った主人公」というのが登場しないのが新鮮でした。

19世紀の中央アジアを舞台にしたお話なので、そりゃあ現代からみたら時代錯誤な出来事、価値観がたくさん転がっているわけです。でもそれを「嫌だな」「おもしろくない」「女性蔑視だ」というのは違う。

最近大河ドラマ「いだてん」での喫煙シーンにいちゃもんをつけられるという話題がありましたが、あれこそ当時をそのままに描くために必要なことだなあと思います。今はどこでも気にせず喫煙していたら大問題でしたが、「いだてん」が描く時代はそれが当然のこととしてまかり通っていたわけですからね。

逆に、戦国時代や幕末を舞台にした大河ドラマで、主要な登場人物が「戦はだめだ」「戦はやめて」と訴える場面が多々あります。これはその時代の価値観をそのままに描くことができず、現代的価値観を持ち込んだ例ですよね。

現代の感覚を持ち込んでしまった時点で、描こうとする時代を客観的に見ることができなくなってしまっている、失敗例だと思います。歴史をもとにしたフィクションだし、見ている人の共感を得なければならないものだから仕方ないのかもしれませんが。

その点、『乙嫁語り』は徹底して当時を生きる人の価値観をいじらずに描けているんじゃないかなと感じます。

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娘の結婚は父親が決める


乙嫁語り(3) (ビームコミックス)

娘の結婚は親が決める。これは日本でも古くはそうでした。奈良時代に律令国家になって以来、家父長的な社会になっていき、武家が社会の中心になるとさらに顕著になっていった。現代は自由な恋愛で当人同士が結婚相手を決められるけど、いまだに親の許しがなければ、という考え方はあります。

『乙嫁語り』のこの価値観も、現代の私たちから見てもそんなに違和感ないんじゃないか、と思うかもしれませんが、3巻を最後まで読むと「ええ~~なんで?」と感じてしまいました。

この作品の主人公はおそらくアミルではなく、イギリス人のヘンリー・スミスです。彼はエイホン家に滞在してこの地域の文化を記録していました。

スミスはエイホン家に別れを告げてアンカラに向かうのですが、道中で出会った未亡人・タラスと出会って最終的に結婚の約束をするに至ります。タラスは最初の夫と死に別れ、その4人の弟と再婚するも全員と死に別れた幸薄い美女。この地域では、夫を亡くした嫁は夫の兄弟のものになるという決まりがありました。

全員と死に別れるとは、とことんついてない。

婚家の大黒柱であるはずの義父ももう亡く、タラスは義母と二人だけで、少ない羊を飼いながら暮らしていました。義母も老い先短い自分の世話をするためにまだ若いタラスが再婚できないでいるのを心配していました。だからスミスに結婚の意思があると知ったときは喜んだのですが、一歩遅かった。

義母は亡くなった夫の弟、つまりタラスにとっては義理の叔父と結婚することを承諾した後だったのです。この叔父はもともと自分の息子とタラスを結婚させようとしており、スミスのことは気に入らなかった。

スミスとタラスが結婚しようとしていると知るや否や、父親の権力をふりかざして婚約を破棄させてしまうのです。

当人同士に結婚の意思があるのに、です。スミスを疫病神扱いして追い払い、締め出してしまいます。この様子を見ていた義母も、「タラスから話は聞きました」「ごめんなさい、本当にごめんなさい」と謝りつつ、「どうかあの子のことは忘れてやってください」と新しい夫に恭順。

これにはスミスも困惑です。

しかたなく引き返し、カルルクやアミルに事の仔細を語るのですが、そこで返ってきた言葉は

「それならしょうがない」

という内容です。彼らにとって父は絶対的で、父親がいるのにそれに逆らうことなんてできない。女性ならなおさらで、そんなひどいことはできない、というのです。

ひどいのはどっちか……

これは私もスミスと同様に納得できないできごとでした。

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イギリス人のスミスは現代人に近い価値観をもつキャラクターとして存在する

スミスは、個人に意思決定の権利があるという考え方に立っています。これは現代人の価値観に近い、というか同じでしょう。

19世紀の中央アジアの価値観をもって生きる人々しか登場していなければ、おそらく読者は置いてけぼりになるんじゃないでしょうか。巻を進めるごとに登場する新しい文化や考え方を、読者と同じ目線で新鮮だと感じるスミスの存在は大きいように思います。

今回のことも同様で、「それっておかしいんじゃないの?」と疑問に思うスミスがいなければ、当時の結婚において父親の考えがどれほど重視されていたか、絶対的なものだったか、それを家族はどう受け止めていたかはわからなかった。

結果、スミスに同調する者はいませんでした。カルルクは「僕たちにとってはそれが当然なんだ」と言う。

まあ、私たちからしてみてもスミスからしてみても「いやいや、おかしいでしょ、女性軽視でしょ」と思う出来事なんですが、スミスはカルルクたちの意見を聞いて「でも、」と自分の考えを伝えるも、最終的には彼らの価値観を理解し、「そうですか」と反論したい気持ちを飲み込んでいます。

共感はできないが理解する

とはこういうことですね。現代的価値観を持っていれば時代錯誤甚だしい出来事ですが、「ふうん、そういう時代もあったんだね」と知る。理解する。

女性は子どもの間は父・兄に、嫁げば夫に、老いては子にしたがえというのが儒教の教えで、いまだにそれに近い考え方は残っていますが、当時の中央アジアではこれほど強烈とは。

スミスと一緒にまたひとつ学んだ。

タイムスリップものではなかなか味わえない感じですよ。同じような地域を舞台にした「天は赤い河のほとり」なんて、もっと古い時代ですけど現代人のユーリが自分の価値観に周囲を引き込んでますからね……。それはそれで気持ちいいんだけど。

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