会田薫さんの新作「写楽心中 少女の春画は江戸に咲く」1巻を読みました。
江戸題材、浮世絵題材という漫画はほかにもあるかもしれませんが、浮世絵の中でも春画を題材にした作品というのは珍しいですよね。しかも春画を描くのは少女で、春画のために幼馴染に抱かれるというすごいあらすじです。
春画って、確か2015年の春画展をきっかけにブームになったと思うのですが、(先に春画展を開いたのは海外ですが)それ以前って結構隠れた存在でした。近々『春画と日本人』という映画が公開になりますが、春画がブームになり、芸術作品としてオープンに楽しまれるようになった経緯は以下の記事が詳しいです。
海外で先にやってくれなければこれほどブームにならなかったんですねえ……。
春画について
今まで春画について詳しく調べてきたことがないので多くは知りませんが、春画(枕絵ともいう)って単なるエロ本という側面だけでなく、娘の嫁入り道具になっていたりして、教育のための絵でもある。
内容が内容だし、江戸時代数回摘発を受けています。たとえば田沼意次の時代は規制もゆるくて江戸文化が花開いた時代でしたが、田沼失脚後に立った松平定信はめちゃくちゃ厳しく規制しました。(私は田沼意次好きですけどね……『田沼實記』とか読むとおもしろい)また吉宗の時代には全面的に禁止になりました。
ただ、規制されたからといって「じゃあやめましょう」とはなりません。裏ルートで取引されていたのです。漫画のあとがきにも書かれていますが、当時浮世絵の制作でもいろいろ制限があったので、職人たちは表に出ることのない春画に力を入れます。つまり、技巧を凝らしたのです。雲母摺り(きらずり)にしたり、毛の描写に力を入れたり、モチーフ(タコとか有名ですよね。今でいう触手モノ……)に趣向を凝らしたりしたのです。
これを、特別春画専門の絵師が描いたとかではなく、有名な浮世絵師の喜多川歌麿、歌川国芳、葛飾北斎なんかも描いていたというのがおもしろいのです。お金のためというのもあったでしょうが、上記のような時代背景だったこともあり、多分楽しんでたのだと思います。
ざっくりとあらすじ
物語は、版元の蔦屋重三郎(二代目)が写楽の娘だという少女「たまき」を見出すところからスタートします。まだ10歳だったたまきは吉原の花魁の母の元で育ちましたが、父譲りなのかすでに絵の才能を開花していて、二代目はそれに目を付けたのです。
この「写楽の娘」というのがキーワードですが、今後どう生かされるのかが気になります。作中では写楽の才能を見出した先代の蔦屋重三郎とともに心中した、と二代目は説明しています。当時一世を風靡した写楽はライバルの豊国に追い詰められて先代ともども心中した、と。
二代目蔦重は、娘のたまきに「写楽」の名を継がせようと考えるのです。10歳で見出したそのときからずっとその考えがあり、たまきを身請けして養女にし15歳まで育ててきたのでした。
今、世間では豊国が枕絵でブイブイ言わせており、蔦重の耕書堂もただ指をくわえて眺めてはいられない。というわけで蔦重は満を持してたまきに春画を描かせるのです。(同時に北斎にも接触している)
恋心を利用して
でもたまきは15の生娘なので、他人の情事を見て描いたところで本質はわかっていません。お父っつぁんはそんなたまきの絵を「つまらない」と吐き捨て、幼馴染・由太郎に抱かれておいでと命じるのです。
迷いながら、怖いと思いながら由太郎の長屋に向かうシーンが印象的でした。この描写とか、また浮世絵的な構図の風景とかもよく見ると楽しめる作品です。台詞を追うだけじゃなくてじっくり読みたい。
さて、この由太郎っていうのがまた、たまきを好きなんですよね。だから当人にしてみれば願ったりかなったりなところもあるんですが、たまきは父親に命じられたから抱かれにやってきたわけで、由太郎も複雑……
実のところ、たまきは義父である蔦重に恋心を寄せていて(本人気づいてるのか微妙ですが)、そのことは由太郎もわかっているのです。
蔦重は由太郎の恋心も、たまきの恋心も利用しているので、質が悪い。しかし、その無情な命令のおかげでたまきは他の誰にも描けない人間の本質をとらえた絵を描きます。
ところで、史実では二代目蔦屋重三郎って番頭だった人ですが、この人がそうなのかな?
たまきは何者なのか
たまきは身請けされて以来会っていない母にもう一度会い、自分が本当に写楽の娘なのかどうか確かめようとします。その役目は由太郎が引き受け吉原を訪れるのですが、すでに母は花魁ではなく。格式の高い見世ではなく、河岸見世(かしみせ)に移っていました。河岸見世というのは仲之町みたいな大通りではなく、外れの安価な女郎屋です。病気で商売にならないような女郎が落ちる場所でした。
たまきの母は病気で立ち上がることもできないほどでした。由太郎が「たまきは元気で、蔦屋の娘として絵を描いている」と伝えると安心し、「やっぱりあの人の子なんだ」と言ってたまきにと簪を託して亡くなります。
「写楽の子」だとはっきりと言ったわけではありませんが、由太郎はそうだと判断したようです。由太郎は母の死は伏せ「元気にしている」と嘘をつき、やっぱり写楽の娘だったということだけ伝えて簪を渡します。
たまきは簪を見て、幼いころ母が言っていたことを思い出します。
「これはおっ母さんが体を張ってこの世界を渡ってきた証し」
「誇りなのさ」
会田薫『写楽心中 少女の春画は江戸に咲く』1巻/秋田書店
そして、
「おっ母さんが死んだら全てお前にあげるつもりよ」
会田薫『写楽心中 少女の春画は江戸に咲く』1巻/秋田書店
と言っていたこと。たまきはここで、母が亡くなったことを悟ったのではないかと思います。「元気にしているなら良かった」と泣き笑い。
たまきは写楽の娘だと確信をもち、母の死で何か覚悟が決まったのか、絵の道で生きていく決心をしたようでした。
次巻は渓斎英泉(けいさいえいせん)とたまきのご対面です。英泉といえばもと狩野派に学んだ絵師で、美人画で知られる人。岡場所や吉原で遊女をモデルによく描いています。
ここでようやく実在の絵師と接触。次も楽しみです。
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