ゴールデンカムイ最新話310話を読みました。
今回節目の10話、大変なことになりましたね。お風呂入ってしっかりスキンケアしたのにあっという間に顔べしょべしょですわ。
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前回の感想はこちら↓
祝福の証明
ゴールデンカムイ 28 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
父親の切腹まで踏襲してみせた尾形の前に現れたのは、やっぱり勇作さんでした。誰かを撃とうとすると絶対やってくる。
杉元はアシリパさんにはやく「射て」と促すのですが、勇作さんが現れてから尾形の様子がおかしい。
もう毒がだいぶ回ってきてるんでしょうね。こんなふうに走馬灯を描写するなんて、うますぎる……。
毒で苦しみ脂汗をかく尾形に問いかけるのは、自分自身です。この辺の描写は勇作さんを撃つ前の鏡の宇佐美に似てます。だから多分あれも本物の宇佐美ではなく尾形のイマジナリー宇佐美だったんだろうなあ。
走馬灯の尾形は、勇作さんを「悪霊」と呼ぶ尾形に、アシリパに銃を向けるたびに勇作が出てくるのは、勇作とアシリパを重ねているからだ、お前は「罪悪感と向き合おうとして来なかった」と指摘します。
今までで一度も描写されなかった勇作さんの目、本当に尾形に似てなかった。菊田さんがノラ坊を選んだのもわかるくらい杉元によく似た面差しです。
尾形は殺した後悔などしていないと言いつつ、走馬灯の過去の尾形たちは、「勇作だけが俺を愛してくれた」と言う。たったひとり愛してくれた勇作さんを殺してしまった罪悪感で、今まで勇作さんの目を見ることができなかったんですね。でも、アシリパさんに銃を向けると必然的にその顔を見ることになる。勇作さんの高潔さを重ね合わせたアシリパさんの目を見ると、勇作さんが亡霊となって現れる。普段は目をそらしていてもアシリパさんを見ると、罪悪感のあらわれのように勇作さんが姿を見せるんです。
過去の自分によって「自分に罪悪感がある」ことを示された尾形はひどく混乱しながら否定し続けますが、過去の尾形たちは「祝福の証明」をし続けます。
自分に人並の罪悪感があるならば、愛情のある両親が交わってできたのが自分だ。両親はずっとでなくても愛し合った時があった。
「罪悪感がある」という証明だけであの時勇作さんを殺したこと(というより殺しで得た答えが)誤りであったということになるわけですが、最初から間違いだったと認めると、尾形の今までのすべてが否定されてしまうんですよね……。
祝福された象徴のような勇作さんを殺して「欠けた」自分が師団長になることで自分とは違う人間たちの存在を否定するつもりだったのに、そうではなかった。
結局尾形自身が欠けた人間だったわけではなく、環境がそう思い込ませたんです。欠けていると思い込んだ尾形は、それにふさわしい道を自分で選んで進んできた。これってどんな道かは人によって違いますけど、大抵の人はそういうふうに生きてるんですよね。勇作さんもそうだった。「ほかに選択肢があるのに」と杉元は言ったけど、本人は気づかないものですよ。自分が他者にどんなふうに搾取され、本当はある他の道をないものにさせられているか。
杉元は勇作さんに「戦争へ行く以外に結婚してエビフライを食べる道がある」のに、他者に隠されている事実に憤懣やるかたない感じだったけど、杉元自身も自分が搾取されてることに気づいてはいないんですよね。加筆された京都のおっさんとの交流は性的搾取があったとわかるような描写でしたし、その後出会った菊田さんに「何をすれればいい?」と聞いた時も、おそらく京都のおっさんと似たようなことを想像したのでは。それがするっと出てきて受けいれる杉元にとって、搾取されるのは当然のこと(というか搾取されているとは思っていない)なんです。
ちょっと遠回りしましたが、何が言いたいかというと、人って「自分はこうなんだ」と思うと「○○すべき」「○○な待遇は当たり前」と思っちゃうよねということ。自分で自分を評価、ランク付け、カテゴライズ、レッテル貼りしてしまうと、その外にはなかなか考えが及ばないものです。
尾形は、自分が自分にレッテルを貼る前にそういう環境ができていたんでしょうね。想像でしかありませんが、ろくにまともな会話ができなかったであろう母親ではなく、祖父母あたりから「父から捨てられた」事実を嫌な感じで吹き込まれたんじゃないかなあと思います。
そして不幸だったのは、「そうじゃないよ」と言ってくれたかもしれない相手を、ろくに対話することもせず尾形が殺してしまったこと。唯一「そうじゃない」と教えてくれたのが勇作さんでしたが、尾形はここで間違えてしまった。愛してくれた勇作さんを殺した罪悪感を認めてしまったら、自分がほかの人たちと同様に祝福されて生まれたのだと気づいてしまったら、今までの自分は全否定されてしまい、もう生きてはいけなくなる。
だから今毒に苦しみなっがら走馬灯の自分にも苦しめられのたうち回ってるわけです。
結局、尾形の息の根を止めたのは尾形自身(&勇作さん)でした。勇作さんをなぞるヘッドショット。残った左目を撃ったのはまた勇作さんを見えなくするため、アシリパさんに与えられた光を拒絶するため、過去の自分たちとの問答で導き出された答えを否定するため、と思われるのですが、最後に勇作さんの
「兄さまは祝福されて生まれた子供です」
野田サトル「ゴールデンカムイ」310話/集英社より
にとどめを刺されるんです。
この勇作さんは尾形が作り出したイマジナリー勇作さんなので、尾形自身の言葉なんですよね。ずっと知っていた、気づいていたことが、もう心の奥底に押し込めてはいられなくなっちゃったんですね……。
そしてセリフが「祝福されて生まれた子供」ってのがまたね……。尾形は結局大人になれない子どものまま死んでいってしまった。尾形の言う「親殺しは通過儀礼」は神話(父クロノスをたおしたゼウス)にも古典(『オイディプス王』とか)にもあるくらいよく聞くことではあるけど、殺してしまったことで永遠にコンプレックスは解消されないままなんですよね。ルーツを自らの手で断ち切った尾形は自立する機会を失ってしまった。
これは前回のコメントへの返信でも触れたんですが、二瓶から谷垣へ、そしてチカパシへと「勃起」を継承した例とは本当に対照的です。勃起それ自体「自立」を意味するので、尾形は勃起とは縁遠い人だった。事実、性のにおいがしないキャラクターでもありましたね。ラッコ鍋でひとりだけ座ってもいられないほどやられてしまうし、勇作さんをたぶらかそうと行った遊郭でもなんか不慣れな感じだった。ルーツを断ち切った尾形は自分から先へのルーツも作れない人だっただろうから、もしかすると不能なのかもなあと思っていました。
過去を断ち切って、未来も作れない尾形は、ここで終わる運命だったんだなあ……しんどいなあ……。
また急に話変わりますが、祝福の証明否定したくて左目撃ったって、それはスナイパーの目をすべて失うことでもあるわけで、自分で選んだアイデンティティ捨ててまで否定したかったか。アイデンティティを失ってまで「これに気づいてはもう生きていられない」と思ったんだ、、、と思うと本当にしんどいですよ。
勇作さんに羽交い絞めにされながら落ちていった尾形は笑ってたし、走馬灯尾形(小)は「ああ…でも 良かったなぁ」と言っている。ので祝福赦されエンドとも思えるのですが、死へ引きずりこんだ勇作さんの笑いが恐ろしすぎて絶望とも受け取れる。
もうね……尾形のことは最後までわからん!
今回こんなにしゃべってくれたのに、最後に大盤振る舞いしてくれたのに如何ようにも解釈できてしまう。
でもまあ、地獄行きの列車から降りた尾形は勝ち抜けですよ。ヴァシリとの勝負も勝ち逃げ。ヴァシリが結局どうなったかは別問題としてね。
ただひっかかるのは、尾形がこんなに苦しむことになった原因の一端は鶴見中尉にもあるってことです。親父殺させたのも勇作さんの件も関わってるんだから。だから鶴見中尉と尾形の決着がイマイチ微妙だったのが気になります。
ヒグマはしっかりアシリパさんが処理してくれてよかった。
コメント
こんにちは。
またまたお邪魔しにきました。
勇作殿、お母様似の男前でしたね。菊田さんが杉元を身代わりにしたのも、整った気品のある顔立ちが似通っていたからだったのですね。
銃で自害するなら、銃口を咥えるか、額かこめかみにあてるかしそうですが、尾形は左目。左目はスナイパーとして生きてきた尾形のこれまでの人生を象徴する存在そのもの。それを破壊するのは、これまで生きてきた人生を自身で否定することに他なりません。最期は尾形自身の中に押し込めてきた良心に従い、迎えにきた勇作殿に身を委ねたのでしょう。この場面を読みながら、新約聖書マタイ伝にある「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」という聖句を思い出しました。
尾形は矢尻を抉り出していますから、アシリパに迎撃する時間的余裕は多少はあったはず。そうせずに、和泉守兼定で引き金を引いたのは、愛刀に憑依した土方さんがイペタムと化してアシリパを守ったのだと私には思えました。落ちていく尾形の左手に握られていない和泉守兼定は、次回以降に描かれるであろう鶴見中尉のロウソクボリボリでも活躍するのでしょうか。
尾形って、アシリパに変な執着を持っていましたよね。杉元のポジションに取って変わろうとするような行動もしましたし。アシリパを身代わりに、兄として自分を愛してくれた勇作殿との関係をやり直したかったのかもしれませんね。
最期まで精神的に自立出来なかった尾形には、「コレヨリノチノ ヨニウマレテ ヨイオトキケ」とはなむけの言葉をおくります・・・。
コメントありがとうございます。
尾形が自殺に兼定も使ったので、尾形と土方さんの死の違いについても考えてしまいます。土方さんは最後まで戦いを好み、青春を生きましたが、尾形は「自分が誰にも愛されていない」確認のために生き、人を殺してきた。土方さんは罪悪感などみじんも抱くことなく死んでいったけど、尾形は罪悪感を抱いていることを自覚して死んでいきました。個人の考えや命が今よりも軽い封建的な時代を生きた土方さんと、明治を生きた尾形は対照的なんですよね。土方さんは個人として戦を楽しみ青春を謳歌しつつ、大義のために生きた一方、尾形はずっと自分の中で自問自答を繰り返し、自己完結してきた。自分のためだけに生きて死んでいった。そのふたりの存在を象徴するのがあのふたつの武器だったように思います。
「コレヨリノチノ ヨニウマレテ ヨイオトキケ」、ほんとにそうですね。
落ちた尾形を谷垣か誰かが発見して弔ってくれたらいいなと思います。
こんばんは、だいぶ遅めに失礼いたします。
毎週もう、これより意表を突かれること無いだろうと思うのに、あっさりひっくり返され…まさかの、兼定そんな使い方?での尾形の最期。いやまさか、でした。吃驚。
読んでから、気がつくと尾形の走馬灯が脳内で回転していて、走馬灯の走馬灯状態です。
尾形、勇作さんの愛情を理解していたんですね。ちゃんとわかってたんじゃないか。余りにも遅かったけど、わかってよかったなと思えます。ネガティブ走馬灯ながら「よかったなぁ」がすごく残る。贖罪やら救済の渾沌から、凄まじくも見事な着地(落下)でした。辛いけど。
アイヌのカムイについての描写は様々あっても、金カムにはスーパーナチュラルなものって基本出てこないですよね。なので、勇作さんもいわゆる幽霊ではないと思って読んでましたが、1箇所だけ、リアルに心霊っぽいと感じた場面があります。25巻246話で、昼間の物見櫓に勇作さんの足が見えるシーン、「これ、本当に居るのかも」という妙な怖さが…多分ですけど、他の場面だと割とはっきり尾形は勇作さんの姿を「見て」いるのに、246話では尾形が「見る」前に勇作さん消えている。すごい微妙なズレで、野田先生のホラー描写が上手いってだけかもですが、尾形が認識する前に消えたのならそれは死者の思念かもなと思えて、昼間の明るい場面なのに怖い。
長くなってすみません、尾形を連れてった勇作さんはイマジナリーか本物か、尾形にとってはどっちが良かったんだろう、とか考えてたらホラー語りになってしまいました。
よくわからなくて、いい奴でもなかったけど、金カムの物語に唯一無二の歪みと深みを齎してたのは尾形だったと思います、間違いなく。
ぐるぐるしすぎて夜が明けてます。三日三晩くらい尾形のこと話してられるなぁ、とすでに二晩め(土曜か!)
来週、休載じゃないのがまたこわい…
コメントありがとうございます。
兼定が一番、あの使われ方にびっくりしたんじゃないかな(笑)
尾形が勇作さんの愛情をそれとして受け取っていたということは、紙面で描かれていた以上のあれこれがあったんだろうなあ、とか想像してしまいます。愛されていたと認めたこと自体はよかったと思いますが、それにしても尾形の死に方は救いがあるような、ないような、まだ納得できずにいます……。
勇作さんの幽霊について、私もあの櫓のシーンは「尾形が認識していない勇作さん」のように見えたので、混乱しました。尾形が作り出したイマジナリー勇作さんだけじゃなく、本当に勇作さんがいたのかな、とも思います。
来週もこわいですねえほんとに……。