前回は『ラ・ラ・ランド』がミュージカル映画であることの意味について考察しました。前回の記事はこちら↓
今回は、ミアとセブが別れることになる結末。そこに至るまでに、こういうラストになるとわかるシーンについて見ていきたいと思います。
ラストには「こうだったかもしれない今」が描かれるのですが、初見でも「え?こっちが本当?こっちが本当の展開ならいいのに!」という希望を、「いや、あの流れではありえない……」と打ち砕いてくれる。そういう描写がてんこもりです。
それがいくつかあるのですが、ここではわかりやすい2つの描写を取り上げてみましょう。
ミアが書いている一人芝居の脚本に見える名前「ジュヌヴィエーヴ」
前回の記事でも紹介していますが、『ラ・ラ・ランド』には1960年代のミュージカル映画『シェルブールの雨傘』の影響が見られます。
シェルブールの雨傘/Blu-ray Disc/BIXF-0036
ラストでわかる『シェルブールの雨傘』摂取
一番似ているのは、ストーリーの結末ですね。
『ラ・ラ・ランド』でミアは女優になるという夢を叶えてスターになり、セブとは別れている。二人がそれぞれ自分の夢を取ったから別れたということなのでしょうが、「セブがミアの成功を願って背中を推してやった」というところが大きい気がします。
『シェルブールの雨傘』では、主人公・ジュヌヴィエーヴは恋人のギイの子を身ごもるのですが、ギイは戦争へ。「待ってる」「必ず帰る」と約束し合うのですが、戦争が長引くほどにジュヌヴィエーヴは不安になり、別の男性と結婚してしまう。ギイは数年後に帰ってきてそれを知ります。また数年後、小さな女の子を連れたジュヌヴィエーヴ(裕福な人と結婚したので金持ち)は、立ち寄ったガソリンスタンドで偶然ギイと再会します。ここでギイの方が貧しい生活をしているあたりも『ラ・ラ・ランド』と重なります。
カップルの女性のほうが成功している未来。パッと見ではそこが似ているのですが、それだけではない。
どちらの作品でも、「これで良かった」「私は幸せで、あなたも幸せ」と満足そうに確認し合っているのです。
これでは観ている側も納得しないわけにいかないですよね。君たちが幸せならそれでいいよ、と思っちゃう。あの、「こうだったかもしれない今」の幸せなムービーを見せられた視聴者は、「あれが現実だったらよかったのに」という切ない感情を抱きながら、この本当のラストで落ち着けるのです。
その点は、私が初めて『シェルブールの雨傘』を観たときも同じでした。ジュヌヴィエーヴのことを許せないなあ~!!なんで待たなかったの?と思っていたのですが、ラストの再会で救われた気がする。ギイも幸せだし、まあいっか!と。
この演出も計算なんでしょう。ズルいな~と思いつつ、感動してしまうのです。
「ジュヌヴィエーヴ」
さて、見出しの本題に移りますが、『ラ・ラ・ランド』が『シェルブールの雨傘』的ラストを迎えることは、実は途中でわかります。
それが、ミアが一人芝居の脚本を書くシーン。
登場人物の名前が「ジュヌヴィエーヴ(Genevieve)」なのです。一瞬しか映らないので見逃してしまった人もいるかもしれませんが、『シェルブールの雨傘』を知っている人なら、「え?これはもしや……」と思ったのではないでしょうか。
この時点で、二人が最後に別れてしまうことはわかるのです。
「ジュヌヴィエーヴ」はフランス系の女性の名前。『シェルブールの雨傘』の主人公の名前ですが、ミアとフランスをつなぐものって意外と多いですよね。
ミアが女優を目指した理由も、パリで女優をしていた「おば」がいたから。オーディションシーンで歌っているとおりです。また、ミアがオーディションで役を得て成功することになるのもパリ。
フランス関連の人や作品、意図的にちりばめられているようです。
電話のタイミング
映画の中でミアとセブが何度かキスをしそうになるシーンがあります。そこに注目してみましょう。
恋の始まりは電話で邪魔をされる
ミアとセブがお互いに恋に落ちかけるシーンが、パーティーの後タップダンスを踊るあのシーンですね。「あんたなんてタイプじゃない」という内容で歌っているのですが、お互いとても意識しています。
最後にいい感じになってキスしそうになるのですが、それを邪魔するのが電話です。あのシーンの曲はサントラにも入っていますが、「ア・ラヴリー・ナイト(A lovely night)」の最後にはiPhoneのおなじみの着信音が入っています。
いい雰囲気になったところで現実に引き戻される。二人の今後を象徴するようなナンバーだと思います。
キスを邪魔される、という部分に注目すると、映画館で『理由なき反抗』を観ているシーンもそうですね。アクシデントがあり途中で上映中止になるところ。電話ではないですが、関連する演出です。
恋の終わりも電話
恋の終わりと言っていいのかわかりませんが、完全に別れるきっかけになった電話です。
映画も後半になると、セブは自分の音楽ができず好きでもない音楽のツアーで忙しくなり、ミアとはすれ違いが続きます。ミアは劇場で一人芝居『さらば、ボールダーシティ』を上演しますが、観客はほとんどおらず(半分は知り合いといっていいほど)、劇場を借りた代金も回収できないほどの結果に。おまけにセブは来ない。
この件がきっかけでミアは実家に帰り、ケンカ別れしている状態になります。この時点で別れていたのかはよくわかりませんが……。
そんなとき、なぜかセブの携帯にミア宛の電話がかかってきます(ここは本当になぜなのかわかりません)。ミアの一人芝居を偶然見た人が、とある映画のキャスティング担当者だったのです。セブはミアの実家まで訪ねて行ってオーディションを受けるよう説得し、見事受かったミアはスターに。
すべてのきっかけになった電話です。ミアにとってうれしい電話だったことは確かですが、結果、ミアはパリへ。セブはロスに留まる。自分の夢を持っている者同士、相手の夢を応援する者同士、別れは避けて通れません。
恋の始まりのシーンで電話に邪魔をされ、恋の終わりのきっかけを作ったのも電話。
これについては最初から予測するのは難しいですが、ラストを知ってからもう一度観ると「なるほど、この電話はそういうことだったか」と気づきます。
観る度に新たな発見がある映画
初見時でも結構注意深く観ていたつもりですが、繰り返し観ていくと今までわからなかったことに気づくことが何度もあります。『ラ・ラ・ランド』は特にそうでした。
前回の記事で、最初のミュージカルシーンでラストがわかるよ、と偉そうに言っていますが、私は初見時には音楽と映像に圧倒されて感動するばかりで、そんなことには注目もしてなかったですから……。
あれ?もしかして、と思ったのはラストに差し掛かってからでした。
今後何度も観ると思いますが、まだ気づいてないことはたくさんありそう。同じ映画を何度も観る楽しみってそういうところにあるとつくづく感じます。
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