映画『ラ・ラ・ランド』公開からもう何年も経ちましたが、多分一生大好きだろうなと思うほど大切な映画です。この映画はもう何度も観ていて、その都度いろんなことを考えるのですが、思い入れがありすぎて自分の考えを文章化するとしっちゃかめっちゃかになりそうで……。長い間温めすぎていました。
映画全体の考察をまとめようとすると論文みたいになっちゃいそうなので、小分けに紹介したいと思います。
今回は、『ラ・ラ・ランド』がミュージカル映画であることの意味について。
考えだすときりがないので、4つのテーマに絞って紹介します。
デイミアン・チャゼルは『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』を下地にしている
監督のデイミアン・チャゼルは、ジャック・ドゥミ監督のミュージカル映画にかなり影響を受けてこの映画を作っています。関連映画としてパンフレットに載っているし、そうでなくても多くの映画ファンが『ラ・ラ・ランド』を観て「ああ、シェルブールの雨傘と同じ結末だな」と気づいたでしょう。それくらいあの古い映画を摂取している。
シェルブールの雨傘/Blu-ray Disc/BIXF-0036
ロシュフォールの恋人たち/Blu-ray Disc/BIXF-0037
ちなみに、『シェルブールの雨傘』も『ロシュフォールの恋人たち』もミュージカル映画です。これらの作品が製作されたのは1960年代なのですが、どうやらこのころのフランス映画は画面に色をちりばめるのが流行っていたらしい。どちらの映画もとにかくカラフルです。『シェルブールの雨傘』の冒頭を知っている人は多いかと思いますが、雨の道を上から映し、色とりどりの傘が舞う。印象的ですよね。
『ラ・ラ・ランド』はこの色遣いも取り入れています。ミアたちのカラフルなドレスはまさにジャック・ドゥミ作品を彷彿とさせます。
最近ミュージカル映画は増えていますが、「ミュージカルなら舞台でいいんじゃない?」という声もありますね。突然歌って踊り出すなんて現実味がないって。でも言ってみれば映画だってもともと現実味のないものです。往来で愛を叫び合ったり、普通しないですからね。
ただ、どんどんリアリティが追及されていく映画の中でなぜミュージカル映画にしようとしたか、理由のひとつには、「1960年代のあの輝いていたミュージカル映画を再現したい」という思いがあったのではないかと思います。
ジャック・ドゥミ作品、私は特に『シェルブールの雨傘』が好きです。胸をかきむしりたくなる系の恋愛映画が好きな方にはおすすめ。
オープニングでネタバレ“Another day of Sun”の役割
今私はサントラ(コンプリート盤)を聴きながらこの記事を書いているんですが、ミュージカル映画は曲が大事。
単なるBGMとして聞き流していたらもったいないです。
というのも、『ラ・ラ・ランド』はすでにオープニングで結末が明かされています。
最初に流れる曲は“Another day of Sun”。冒頭はこんな感じ。
I think about that day
I left him at a Greyhound station
West of Santa FéWe were seventeen, but he was sweet and it was true
Still I did what I had to do
‘Cause I just knewソングライター: Justin Hurwitz / Benj Pasek / Justin Noble Paulアナザー・デイ・オブ・サン 歌詞 © Warner/Chappell Music, Inc, Universal Music Publishing Group
これを訳すとこうなります。
あの日のことを考える
サンタフェ西部の長距離バス乗り場に彼を残して街を出た私
二人とも17歳で、彼は優しい人だった
本当よ
それでも私は自分の心の声に従った
そうしなきゃと思ったから
ラ・ラ・ランド -完全ミュージカル体験盤より
対訳:今井スミ
どうでしょう。
もうそのままミアとセブのことだと思いませんか?「彼を残して街を出た私」は、「セブを残してパリに行ったミア」です。
この後にも、こんな歌詞があります。
‘Cause maybe in that sleepy town
He’ll sit one day, the lights are down
He’ll see my face and think of how he
Used to know meソングライター: Justin Hurwitz / Benj Pasek / Justin Noble Paulアナザー・デイ・オブ・サン 歌詞 © Warner/Chappell Music, Inc, Universal Music Publishing Group
日本語にすると、
もしかしたら、あの活気のない故郷の町の映画館で
いつか彼が観てくれるかも、照明が落ち
スクリーンに映る私の顔を見て、彼は懐かしむのよ……
ラ・ラ・ランド -完全ミュージカル体験盤より
対訳:今井スミ
もうそのまんま、ラストの関係です。セブがミアの映画を観たかどうかはわかりませんが、街中にでかいミアのポスターが貼ってある状況はこれに等しい。
昔むかし……
こんなふうに、「これはこんなお話なんだよ」と始まる展開、何か思い出さないでしょうか。
私は童話を思い出しました。ディズニー映画で古いものをちょっと思い出してみてほしいのですが、必ず「昔むかし……」と本のあらすじを読むところから始まりませんでしたか?
『ラ・ラ・ランド』もそれと同じで、この作品って昔話なんですよ。
たしか以前ライムスターの宇多丸か誰かの解説で言っていたと思うのですが、この映画には第三者がいない。ミアとセブの二人だけのストーリーで、そこにちゃちゃを入れてくるわき役がいないんですよね。いないっていうと語弊があるんですが、第三者視点がないという、そういうこと。ミアとセブ、二人が見た世界。
ラストで二人は偶然再会し、目だけで会話しますね。「これでよかった」「お互い幸せだ」と確認し合う。こ
この映画で「今」はどこかというと、おそらくこのラストでしょう(今があるとしたらです。すべて回想の可能性もあります)。それ以外の内容はすべて「昔話」。
ミアとセブの二人が過去を回想しているお話なんです。だから第三者がいないという。
だから、最初突然“Another day of Sun”が始まると「うーん……?」と思うのですが、これにはちゃんと意味があった。それに気づくのはラストなんですよ。ラストを観て「これって回想なのか」と気づき、冒頭の“Another day of Sun”の仕掛けに気づく。
最後まで観て初めてデイミアン・チャゼルの構成力に驚きひれ伏すのですよ……(少なくとも私は)。
で、もう一度内容を分かったうえで最初から観直すと、“Another day of Sun”が「昔むかしこういう女と男がいてね、」という昔語りの序章であることにちゃんと気づくのです。
すごくうまい仕掛けですよね。ディズニーだって突然歌って踊るミュージカルで、「昔ばなし」です。『ラ・ラ・ランド』もそういうお話だったんですよ。
夢と現実の対比
「昔ばなし」だ、という点では、ミュージカルであることはよりうまく機能します。『ラ・ラ・ランド』は現代人の映画ですけど、もうファンタジーだと思っていただいて差し支えない。そもそも英語の“La la land”ってあのロサンゼルスで夢を追う人たちという意味ですから。「ロサンゼルス」そのものと、「現実離れした、おとぎの国」「夢うつつの状態」とかそんな意味。
夢を追いかける人を表わす前向きな意味と、逆に「現実を見てないよね」という皮肉もあります。要するに、夢と現実のはざまにある人々です。
この映画は、その曖昧な境界もよく表現しています。これがミュージカル映画でなかったらそこまでできていなかったでしょう。
夢・ファンタジー
ミュージカルシーンでもちゃんと現実っぽいところもありますが、ファンタジーちっくなところで象徴的なのが、ロサンゼルスの名所でもあるグリフィス天文台で二人が踊り、宙に舞い上がるシーン。
本当に舞い上がってますが、彼らの感情も夢見る気持ちで舞い上がっています。
このシーンは「ちょっとやりすぎ」とか「浮世離れしすぎ」とか言われますが、これでいいんです。ここは「夢」のシーンだから。
ミアとセブがいちばん幸せで夢心地だった瞬間を、そのままに表現しているんだから。映像で感情を表現しているので、これは十分ありな演出だと思います。
夢と現実の合間?
もうひとつ、夢と現実に関連して印象的なミュージカルシーンは、パーティー後のミアとセブがタップダンスするところです。
このシーンで面白いのが、ミアがわざわざ靴を履き替えてタップを踊っていること。これ見よがしに靴を出して、音楽に合わせてタップを刻む。
ちょっと笑っちゃうくらいわざとらしいんですが、これは「ミュージカル」でなく「ミュージカル映画」だからできる表現じゃないでしょうか。ミュージカルだったらもっとおぜん立てされた状況で踊りますよ。靴履き替えたりしない。
ミュージカルシーンだけど現実っぽくもある、そういう夢と現実の間の表現が際立ったシーンだと思います。
歌は物語の動きを印象付ける
これはどのミュージカル作品でもそうだし、普通の映画で「ここぞ」という場面で壮大な音楽を流すのと同じですが、ミュージカルナンバーは登場人物の心を代弁していると思えばちょっと特別に感じます。
『ラ・ラ・ランド』に関して言うと、ミュージカルナンバーは登場人物に何か心境の変化がある場面でよく使われます。
ここで逐一曲を流しながら紹介できないのがもどかしいんですが、例えば先ほども触れたタップダンスを踊るシーン。
ここの歌は“A lovely night”です。お互いが「君にはドキっとしない」とか「タイプじゃない」とか、「ポリエステルのスーツ着てたあなたはイケてたけど」「ウールだよ」なんて歌ってるんです。
お互い「恋は始まらないよ」と言ってるんだけど、恋が芽生え始めた瞬間ですね。二人の感情が動いた場面で、この歌はとても効果的。こんな内容は口で言い合ってもいいものですが、歌にされるとなんだかより印象に残る。『ラ・ラ・ランド』を観た人で、ここが印象的な人も多いんじゃないでしょうか。
また、セブがバンドに加わってライブをやったときの曲もひとつの転換点としてうまく作用しています。セブはジャズが好きでそれはそれはこだわりの強い男で、ミアはそれをよく知っている。しかしライブで演奏された曲はセブが好むものでは全くない。「え、これでいいの?本当に?」というミアの戸惑い。
ミアのために稼げる音楽をやろうと妥協しているセブと、セブには好きな音楽をやってほしいと願っているミアがぶつかる。その起点となる場面です。
めちゃくちゃかっこいい曲なんですけどね…しかも歌ってるのはジョン・レジェンドだし。それでも全く方向性の違う曲として、ミアがたまげるほどグサッと突き刺さるのがいい。
あとは、ミアのオーディションのシーンの曲なんかもそうですね。まんまタイトルも「オーディション」です。これは言わずもがな。鳴かず飛ばずの売れない女優だったミアが躍進するきっかけとなった歌です。大きな転換点。
ミアが女優をめざすきっかけがつまっていて、とても印象的な曲です。
もうひとつ挙げるとしたら、“City of Stars”のセブとミアのデュエットバージョン。これがたまらなく好きなんです。作中一切ないといってもいい。
セブがひとりピアノを弾きながら歌っていて、途中からミアが加わる。サビに入るとちょっと笑いながら歌ってたりして、めちゃくちゃ「幸せ」なんだと伝わるシーンです。なんと、この曲のあとに件の、ジョン・レジェンドのめちゃくちゃかっこいい歌が続くんですよ。“Start a Fire”です。
つまり、“City of Stars”のデュエットは二人が幸せだった最後の時なんです。切ないわけですよ。“City of Stars”ってバージョンを変えて作中何度も何度も歌われます。
この曲ってセブオンリーの時は「輝く星は僕だけのために輝いているの?」っていう短い歌なんですが、デュエット版はもう少し長い。ミアが加わってから愛の歌になるんです。
そしてエンディング後、ミア一人のハミングバージョンもある。これもものすごく切ない。全部切ないんですけどね。あのいちばん幸せだった時を思いながら歌ってるのかなあとか、いろいろしんどい方向へ考えてしまいます。
ミュージカルでなければここまで感動しなかった
ミュージカル大好き人間なので信憑性がないかもしれませんが、『ラ・ラ・ランド』がミュージカルじゃなかったら、こんなに取り憑かれるほど夢中になってなかったと思います。
世の中には「なんでこれをミュージカルにしたのか」と思う作品もありますが、これはミュージカルを活かしきってると思う。
『ラ・ラ・ランド』語り、もう何本か続きます……
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