2016年10月に公開された『湯を沸かすほどの熱い愛』は、日本アカデミー賞6部門を受賞、その他多数の国際映画祭で上映されるなど、注目された作品でした。
私がこの作品を観たのは確か昨年の5月ごろだったと思います。そのため、記憶がおぼろげなので所々解釈がアレなところがあるかもしれません。先に謝っておきます。
この作品で気になったのが、赤と青の色の使い方でした。いろいろ映画レビューサイトや記事をチェックしてみたのですが、あまりこれに言及されているものはないように思いました。
お湯の赤と水の青
この映画は、銭湯を営む家族の物語です。銭湯といえばお湯。蛇口の色はだいたい赤でお湯を表しますよね。水は青(場合によっては水色だったりもする)です。
作品のタイトルにもなっていますが、「湯を沸かすほどの熱い愛」というのは、宮沢りえ演じる双葉の、夫や娘たちに対する愛情を表していると思われます。
映画のラストシーン、末期がんだった双葉がなくなり葬儀が執り行われるのですが、なんと一家は亡骸を持ち出して経営する銭湯で双葉の亡骸を火葬するのです。
銭湯の煙突からは、赤い煙。ちょっと感動を通り越してゾッとする演出で、かなり印象に残っています。
このシーンに集約されているように、お湯の赤=双葉の赤だと考えられます。
キャストの衣装の色
象徴的なのが、衣装の色です。まず、ポスターで宮沢りえがつけているエプロンが赤です。
衣装で色の使い分けが徹底的に行われているわけではありませんが、杉咲花演じる安澄、オダギリジョー演じる一浩、伊東蒼演じる鮎子の3人は青系の服を着ているシーンが多いです。
双葉の衣装も青系が多く使われているので、赤と青をキャラクターで使い分けることに関して、衣装だけでは「そうだ」と言い切ることはできません。ただ、衣装では青を意識的に使ってるのは間違いないだろうな、と思います。画面で青が目を引くので、印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
安澄の好きな色と双葉の好きな色
色について、作中で触れられているシーンがあります。
娘の安澄は学校でいじめられていて、ある日、制服の上から全身絵具まみれにされるということが起こりました。双葉は安澄を迎えに行きます。
全身を彩る絵具の色を見て、安澄は「数えたら12色ある」と言います。
安澄は不登校気味になりながらもいじめに耐えており、まだ母にすがることができないでいます。「全身に絵の具をぶちまけられたことなんて何でもない」というような発言(本人は自分でやったと言い張っているし)。
双葉も深く言及することなく、安澄の話に合わせてやります。
「この中で安澄が一番好きな色は?」と聞くと、安澄は「水色」と答えます。
確かに。安澄は水色の服をよく着ています。
これに対し、双葉は「お母ちゃんは赤が好き。情熱の赤が好き」と答えます。
安澄も「お母ちゃんっぽい」と納得。
親子で好きな色が分かれていて、やっぱり赤と青。でも、双葉は赤を積極的に身につけることはしていません。
一方、作品の中で、青はキャラクターを象徴する色であり、身近なものに多く使用されています。安澄が好きだと言った水色。双葉は水色のブラを買ってあげました。安澄が教室で服を脱ぎ、この下着一枚になるシーンがありますが、ここに象徴されるように水色は安澄の勝負の色にもなっているのです。
赤はどこで使われている?
じゃあ赤はどこで意識的に取り入れられているのか?
たとえば、双葉たちが乗る車が赤です。車に乗っている人物の服はやっぱり青系なのですが、画面に映り込む小物が赤なんです。
あとは、食べ物が赤い。双葉が安澄と鮎子を連れて、安澄の血のつながった母に会いに行くシーンでカニを食べています。また、幸野家では特別な日にはすきやきを食べるというルールがあります(朝からでもお構いになしに食べる)。カニも肉も赤です。
青ほどいつでもどこでも画面に映り込むわけではないけど、やっぱり赤も意識的に使われていると思います。
双葉の赤、情熱はどこから
双葉とそれ以外の家族。家族をつなぎ合わせたのは双葉の愛でした。
中盤でわかることですが、双葉と娘の安澄は血がつながっていません。4人家族の中で血がつながっているのは安澄と一浩だけ。鮎子は一浩の愛人の連れ子です。
誰とも血縁関係にないけど、家族は愛情でつながっている。双葉の情熱がなければありえなかったことではないでしょうか。
その、家族の誰も持っていない情熱を双葉だけが持っていて、それを象徴するのが「赤」だったのだと思います。
作品冒頭、夫の失踪以来、双葉は銭湯を休業しました。「湯気のごとく、店主が蒸発しました。当分の間、お湯は沸きません」とい張り紙を表に出して。
双葉が銭湯を再開させたのは、余命宣告された後でした。自分がいなくなっても家族がやっていけるように、家族をつないだのです。沸かなかったお湯が再び沸き始めたのは双葉の情熱ゆえでした。
じゃあ、双葉が亡くなった後、どうしてお湯は沸き続けるのか。これは都合よく解釈しすぎなのかもしれませんが、亡くなった双葉の情熱がお湯を沸かし続けているのでは?と思います。
あのゾッとする赤い煙。湯気と火葬の煙を区別するための演出なのかもしれませんが、それにしてもどぎつい赤ですよね。他の家族と同様、双葉の衣装も青が多かった。双葉が好きだと言った赤は、あまり積極的に使われることはありませんでした。それは、双葉の愛、情熱が内から湧き上がって(お湯だけに沸き上がって)くるものだったのかもしれません。静かな青の中に隠れていた赤が、あの火葬の瞬間にやっと表に出たのかもしれません。
コメント