最終巻が出たので、書いてなかった既刊の感想もまとめようと思ってやってきました。24巻から放置していたとは思わなかった(笑)
今までその巻の本誌発表時の感想も下にリンクでまとめていたのですが、面倒なので割愛します。すみません。例によって基本的に加筆修正箇所の感想です。
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24巻の感想はこちら↓
上等兵たちの問答
243話「上等兵たち」。結構加筆されていてページが増えています。加筆はもちろんですが、一番物議をかもしたのが、回想シーンの宇佐美の左肩章の数字が反転していることですよね。だからこれは尾形の作り出したイマジナリー宇佐美で、尾形の自問自答なんじゃないか説があります。
確かに、「まいったな」から5コマ分の加筆の後の宇佐美「そうだね」が不気味なんですよね。なぜ捕虜の後ろの真っ暗闇から顔だけ出してるんだと。でもその説だと片方だけ反転してるのが謎なので、ミス説もあるんですよね。
前、尾形の死の回に「イマジナリー宇佐美だったんだろう」みたいなことを言ってたんですが↓、改めて考えるとここで尾形がわざわざイマジナリー宇佐美を作り出す意味ってあるかなあ……と思ったりもするんです。一人っ子で友だちもいなかったであろう尾形にとって、自問自答が当たり前で、そこに誰がいようがあまり関係ない気がするんです。
尾形に都合のいい相づちうつだけの宇佐美はかなり不気味なのでなんとも言えないですけど、このシーンは菊田さんとの会話から宇佐美が回想している流れなので、尾形のイマジナリー宇佐美ではないんじゃないかなあと思います。
本誌の時はどんなこと言ってたか見返してみると、
尾形は「やっぱオレはおかしくないな」と宇佐美に言っているようで自分に言い聞かせていたし、宇佐美も「俺は駒じゃないよな」と誰に言うでもなくつぶやいて、これまた言い聞かせています。ふたりともそうじゃないことに気づいていながら自己暗示でごまかそうとしているんですね。自尊心のために。
https://shakarikiblog.com/2020/06/11/goldenkamuy-243-review/
って言っていますね。結局尾形・宇佐美どちらにとっても自問自答回ですよね。相手がいてもいなくても関係なさそう。
ただこれを素直に宇佐美の回想ととらえるなら、塹壕の相づちは「父親とのつながりから鶴見中尉にかわいがられる」尾形に、父親からの愛がないことを気づかせて絶望させてやりたい(+鶴見中尉にとって役立たずだと確認したい)ゆえの行動と見ることができると思います。
で、その後の展開、「駒」「戦友」に関する追加までを見ると、やっぱりどこまでも宇佐美→尾形への負の感情いっぱいで、鶴見中尉が大事にする「駒(宇佐美談)」たちに焦りを募らせていく心情が見えます。
宇佐美自身は「自分は所詮鶴見中尉の駒だ」とわきまえることで傷つかない予防線を張ってるんですよね。中尉の下にいる者たちはみんな駒なんだけど、中でも自分は「鶴見中尉の本質を理解する駒」で一段高いところにいると思っていたい。だからついつい月島軍曹戦友呼びの件も「僕は真意をわかってますよ~」ってな感じで口に出してしまうんですけど、はたから見ると痛々しいったらない。
この回は加筆で尾形の勇作殿殺害までの論理の展開を明らかにしてくれた回である一方、嫉妬・焦りに苦しむ宇佐美の話がメインだと思いました。
この回想がどちら視点かわかりにくいのは、宇佐美から尾形に対する負の感情の強さに比べて、尾形の宇佐美への関心がほぼないのがひとつ問題ですよね(笑)
でも、尾形の論理(罪悪感と肉親からの愛情の因果関係)に当てはまらない人物こそ宇佐美なので、尾形がああいう結論を導き出した場に宇佐美がいるっていうのはおもしろいですね。そんな例外相手に必死に自分の存在を肯定する理屈をこねくり回してるんですから。
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