「ゴールデンカムイ」土方と犬童典獄の関係性は「レ・ミゼラブル」の主人公二人と似ている

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引用元:集英社
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今日、下の記事を書いててふと気づいたんですが、ゴールデンカムイの土方と犬童の関係って、レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャンとジャヴェールの関係に似てる……!

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フジテレビ開局60周年記念企画として放映されたドラマ「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」。すでに前情報の時点で「これはレミゼって言えるの?」と疑問だったのですが、文句言うならちゃんと観なきゃなあと思ってドラマを観てみました。ひとつのドラマ...

 

というのも、特に金カム14巻のことなんですけども。レ・ミゼラブルはミュージカルも映画も好きで(お恥ずかしいことにユーゴー先生の原作は未読です)、時々ジャヴェールの死に際について考えてはひとり盛り上がったり落ち込んだり、そんなおかしなことをやるほど大好きな作品です。

昨日レミゼのドラマを観て、それについてブログを書いてて気づくなんてボーっと生きてる証拠ですね。

気づき程度に、いつものように頭の中をぐるぐるしてることを吐き出していこうと思います。

※金カムのネタバレ含みます。

 

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「法によって取り締まる側」と「法を犯した側」

引用元:集英社

簡単に両作品の両者を分けてみると「法で取り締まる側」と「法を犯し取り締まられる側」に分けることができます。もちろん、土方歳三とジャン・ヴァルジャン法を犯した側であり、犬童典獄とジャヴェール警部法で取り締まる側です。

 

どちらも警察関係者(犬童典獄は監獄の長ですが)犯罪者という対立する立場にあるのでとてもわかりやすいですね。

レミゼのほうはジャン・ヴァルジャンがパンを盗んで投獄され、脱獄を繰り返したことでジャヴェールにとって印象的な人物になったという程度なんですが(それでもものすごい執着)、金カムのほうはもうちょっと根が深いんですよ。

土方は投獄されていたので犯罪者ではあります。戊辰戦争では賊軍に属していました。一方、犬童は兄を函館戦争で亡くしており、当時土方と対立していた側です。

 

なぜ相手に執着するのか

立場が似ているのはもちろんですが、いちばん重なる部分は相手に対する気持ち悪いくらいの執着です。一本前の記事でも書きましたが、ジャヴェールは法を犯しながら正義ぶってるジャン・ヴァルジャンがとにかく気に入らないんですね。「お前出所しても見てるからな24601、絶対許さんマン」ですよ。

なぜジャヴェールが執着するのかというと、私の思うのはこういうところです。

出自が出自なだけに、ジャヴェールはずっと黒いものを抱えて生きています。その救いとなったのが「法」で、自分が社会の秩序を守る法に従い法のもとで動いてさえいれば、自分は正しい。自分は生きるに値するのだ、という拠り所だったのだと思います。

だから法を犯したジャン・ヴァルジャンを、妄執といえるほどに執着して追うんですけど、最後は自分が助けられ、まるで聖人のようになったジャン・ヴァルジャンを捕らえることはもはやできなくなってしまった。

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要するに、自分を正当化するためにはジャン・ヴァルジャンは悪でなければならなかったんです。法のもとで行動し、法を守る自分だからこそ社会に存在することができる、というのもあると思います。

 

犬童典獄は本当にこのジャヴェールの考え方にそっくり。

135話「鎖デスマッチ」の中で、土方は犬童と対峙します。鎖で互いの手をつないで、こんこんと土方にこう語ります。

「お前と函館で一緒に戦った榎本武揚は今や子爵なのに、かたや土方は年老いた脱獄囚だ」

「榎本武揚のように明治政府軍に「任官」していればそんなことにはならなかった」

「命乞いをしろ」

「私に服従し私の部下になれ」

「毎朝私の靴を磨いてご機嫌をとれ」

とまあ、一人でまくしたてるわけです。どうだ悔しいだろう、悔しかったら負けを認めて、間違いを認めて、私のもとにひれ伏せという、要するにそういうことが言いたい。

 

これに対して、土方おじいちゃんはとても冷静ですね。犬童のゆがんだ妄執なんてお見通しです。

「260年の幕府への「忠」を仇で返したお前たちが今は新政府で国民に「忠」を説く矛盾」

「それを正当化させるには旧幕府軍の思想を「転向」させて配下に置くしかなかった」

「貴様らは「殉教者」となった旧幕府軍人が怖くてたまらないのだ」

「函館戦争で死んだ兄や自分を肯定するには、この土方歳三を生きたまま「任官」させて配下に置くしかない」

 

いやもう、本当にその通り。逆にこれを持ってジャヴェールの行動を解釈できると言ってもいいくらい完璧。

戊辰戦争で死んでいった旧幕府軍は幕府へのを貫いて死んでいった殉教者で、もう死んだ者の思想は二度と変わらないし、明治政府軍に転向させることは不可能。だから忠義者として、殉教者として美化されてしまう。犬童はそれが悔しくて、忠を貫いたまま土方を死なせることができなかった。

 

殉教者とは、その表現は最高ですね。ジャヴェールにとって最後接したジャン・ヴァルジャンが聖人で、捕らえることができたのにそこから先侵すことができなかったことからもわかりますが、もはや触れることができないところにあるんです。転がり落ちてきそうにない、信念を曲げない土方もそれに限りなく近い存在です。心に黒いものを一物抱えている犬童やジャヴェールにとって、とても侵しがたい存在だった。

 

もう「憧れ」と言ってもいいかもしれませんね。自分にはないもの、もう二度と手に入らないものを持っている人間への憧憬。

これだけ追いかけ続けているのに、当のジャン・ヴァルジャンや土方の方では「こいつ煩わしいな」くらいにしか思ってなさそうなところ、なんだか片思いみたいで悲しい……。

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最期

相手を認めて、己の誤りを認めて死んでいくところも重なります。ジャヴェールは「法の外にも正義はある」「法はすべてではない」ことを悟って、ジャン・ヴァルジャンを正義と認めて死んでいきましたが、犬童典獄の最期も土方を認めて終わります。

「やれ、最後の侍」

これが最後の台詞。

 

「侍」ってどう定義していいかわかりませんが、「武を以って主君に仕えるもの」だということは確か。主君に忠義を尽くすもの。土方おじいちゃん、もう生きる伝説みたいな存在ですが、まさに最後の侍と言っていい人ですね。曲がらない人です。

ヒネクレ者の犬童なりに認めてるんですよねえ。

 

私はなんかこう、単純な好意というより負の感情によって執着する人間と、それを歯牙にもかけない人間っていう構図に弱いんだなあとつくづく思いました。今回取り上げた二組もそうだし、例えばバナナフィッシュのアッシュとオーサー、アッシュとゴルツィネなんかもそう。

ものすごく、たぎります。

 

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