【ネタバレ】ドラマ「乱反射」考察とレビュー|連鎖する罪、責任は誰に?

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引用元:メ~テレ
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9月22日、朝日テレビ系列で放送されたメ~テレ開局55周年記念ドラマ「乱反射」。

原作小説は貫井徳郎による推理小説で、2009年に発売されています。私は原作を7、8年ほど前に読んでおり、今でも印象に残っている作品なのですが、なんで今ドラマ化されたんだろう……とちょっと驚きつつ視聴しました。

原作の内容も紹介しながら、あらすじと考察をまとめます。

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あらすじ

地方都市で起こった不運な事故によって失われた小さな命。新聞記者をしている加山聡は、愛する息子がなぜ死んでしまったのか、事故の原因を追う。

しかし、事故にかかわった人々は誰もが平凡で、自分が一人の子供の命を奪ったとは思いもしない。

街路樹の伐採反対運動をする者、飼い犬のフンを始末しない老人、責任逃れのために職務を放棄した当直医、事なかれ主義の市の職員、潔癖症の造園業者……

ひとりひとりが犯したのはほんの些細な罪だった。

加山夫妻は息子を失った怒りの矛先をどこに向けたらいいのか。不運な事故として終わった息子の死。誰も罪を自覚していない。

 

「自分の小さな罪もどこかの誰かを傷つけているのではないか__?」と自分自身に問うのだった。

キャスト

加山聡 – 妻夫木聡

加山光恵 – 井上真央

足達道洋 – 萩原聖人

海老沢一也 – 北村有起哉

上村郁夫 – 光石研

久米川治昭 – 三浦貴大

小林麟太郎 – 芹沢興人

大塚かなえ – 相楽樹

ほか

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感想

小さな罪が偶然重なった

不運な事故は、小さな罪が偶然重なったことで起きてしまいます。

  • 極度の潔癖症の造園業者は犬のフンが原因で樹木の検査ができなかった
  • 犬を散歩させる老人は腰痛が原因でフンを持ち帰らなかった
  • 市の職員は市民から苦情の電話を受けながら、子どもたちに馬鹿にされ「これくらい」と思ってフンを放置した
  • 街路樹伐採反対運動のせいで樹木の検査が妨害された
  • 病院のバイト内科医は自分が子どもの死の責任を取らされるのを嫌がって受け入れを拒否した

突き詰めていけばもっとあるのですが、これらの要因によって子どもが亡くなってしまいます。

 

責任は誰にある?

原作では、事故の原因となった人物ひとりひとりに焦点が当てられ、オムニバス形式で展開します。それぞれに言い分があり、「そうするしかなかった」という言い訳がじっくり描かれており、人物によっては読者でさえ「しかたなかった」と思う内容になっています。

原作とドラマとが少し違うのは、原作は「夜間診療を便利だと大学で言いふらした学生」と「運転が下手で道路に車を放置し、渋滞を引き起こした女性」がいること。原作のほうはもっと複雑にからみあってるんですよね。

それこそ、「この人直接的に事故と何のかかわりもないんじゃ?」と思うような。

 

ドラマでも犬の飼い主やバイト内科医が特に非情に見えます。犬の飼い主なんて自分の行動が事故を引き起こしたなんてまったく思いもせず、「散歩コースなのにもしものことがあったら大変だった」と被害者面。原作を読んでいてもドラマを見ていても怒りがわいてくるんですが、「腰が痛いから」というよりめんどくさいから。飼い犬の世話もきちんとできないなら飼うなよ、と思います。

この老人にも、定年後何もすることがなくて外に出るために犬を飼った、という寂しい理由があるんですが、そうはいってもひどい。

一方、内科医は適切な判断をしたといい、加山に詰め寄られて「たいした病気でもないのに夜間診療に来る馬鹿どもが悪い」と責任を他人になすりつける始末。

「自分は悪くない」と責任逃れをするのは彼だけではなく、市の職員、造園業者の社長、反対運動のおばさんたち……ほぼすべての人たちが責任を他人に擦り付けていく。

 

加山は息子を殺したのは誰なのか、それを突き止めるために取材を進めますが、それは怒りと悲しみの矛先をどこに向けていいかわからなかったという心理もはたらいています。当然の感情ですよね。

突風で街路樹が倒れて死んだ。

こんなの、誰を恨んでいいやらわからない。気持ちの収まりがつかない。

だからこそ狂いながらも取材を続けるのですが、誰を訪ねても「自分は悪くない」「責任はない」という。潔癖症の造園業者はさすがに直接的に樹木の検査にかかわっていたので、自分に責任があると自覚していますが。

加山は、会う人会う人すべてが「そんなこと言ったら○○のほうが悪い」「自分はあいつのせいで○○できなかったんだ!」と、他人の、もっと些細な罪をあげつらって責任を逃れる姿を見ては、おそらくばかばかしく感じるようになっていったのではないでしょうか。

「誰かが息子を殺した」

そう信じて調査を進めたら、調べていくうちにどんどんしょうもないことが原因であるとわかる。

 

結局のところ、いろんな人の怠慢や小さな罪が重なったことは確かですが、

  • 強風という人にはどうしようもない天候が一要因であったこと
  • 義母が病院で引き留めなければ事故に巻き込まれなかったかもしれないこと
  • タクシーがいれば歩いて帰ることもなかったこと

事故にあった原因を探せばきりがなく、そしてそのほとんどが人にはどうしようもない理由であったことがわかります。

加山は最後にようやくそれを悟る。あるいは最初からわかっていたのかもしれません。

 

誰もがどこかで何かにかかわっている

原作小説では、たしか冒頭で『オリエント急行殺人事件』に言及しています。列車に乗っていた全員が殺人事件の犯人だった、というアガサ・クリスティの推理小説ですね。

この事件はそれに似ている、と。

 

ドラマでは、加山が公共施設のごみ箱に家庭ごみを捨てるシーンが二度ありますね。そこで加山は周囲をキョロキョロ見渡し、だれも見ていないことを確認してごみを捨てる。彼自身、それが悪いことだとわかっているからです。

加山は、「これも同じなんじゃないか?」と思ったのではないでしょうか。

原作では冒頭にこのシーンが描かれ、加山は「自分のこのささいな罪も誰かを傷つける要因になっているのかもしれない」と思うんです。事故後、すべて調べ終わった後で。

 

この事故に関わった人は、ある程度「まずいことになった」という気持ちがあり、罪の意識はあるように思えます。しかし、犬の飼い主の老人はまったく何も知らず今もまだ街路樹の根元にフンを放置しながらのほほんと散歩している。

世の中の人の大半はこの飼い主と同じなのではないか。この作品のテーマを突き詰めていくとそういうことではないでしょうか。

『オリエント急行殺人事件』のように、多くの人の行動がひとつの命を奪うことがあるかもしれない。しかし、そこに悪意や明確な意図があるか。今回の事故にはそれがありません。

もしかしたら、現実に起こっている事故の中にもこんな背景があるかもしれません。でも、原因の一端が自分にあったとしても、自分がかかわっているなんて思いもせずに生きている。

加山はごみを捨てながらそんなことを思ったはずです。でも、「じゃあごみは持ち帰ろう」とはならないんですよ。あれだけ自分が苦しく辛い思いをしながら、「自分はそうはなるまい」とは思わない。やっぱり「これくらいいいや」と思ってる。

 

誰が悪いのか、何が悪いのか。この作品はそういう罪の所在ではなく、人の行動はだれかに何らかの影響を及ぼすのだということを描いているように思います。誰もがちょっとした罪(罪と呼んでいいかもわからない)を犯しながら生きている。

生きていれば誰でも間違うことがあるよね。っていうくらいどうしようもない人生の命題ですね。答えのない問題です。

 

 

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